経験が無意味になる人

朝井リョウの「何者」。

二宮拓人っていう就活中の男が主人公の作品です。

彼は他人を分析することが得意で、その分析の結果から厳しい評価を下したりもします。

一方で、自分に低い評価が付くことは恐れており、評価されるような土俵には上がらないという一面があります。

端的に言えば高みの見物しかしないダッサい男です。

そんな空想世界の彼と現実世界の僕が重なって見えました。

 

僕は大学卒業後にワーホリを経験し、帰国後は造園会社に就職しましたが、数か月で退職し、今はニートをやっています。

ここ2年以内の経験は今までになく濃く、おかげで見える世界は広がったし、考え方にもかなりの変化がありました。

 

「経験はすればするほどいい」と考えていたので、ワーホリに行ったことや造園会社で仕事したことはもちろん後悔していません。

ニートになったことですら「ニートをやったことがなかったから、やれて良かった。」と思っている始末です。

 

さらに、それぞれの状況で感じたことや学んだこと、成長できたことが確実な手ごたえとしてありました。

その手ごたえがより一層、「経験はするべき」という考えを確固たるものにしていきました。

 

そんなこんなでニートをしていたある日。

初めに述べた「何者」という作品に出会い、衝撃を受けました。

今の僕の様が、主人公の二宮と重なって見えたんです。

 

気がつけば過去の経験を判断材料に、あらゆる事についてあーだこーだ物申すようになっていました。

その癖、ニートなので何の行動もしていない。

評価されない世界に浸りながら評価ばかりしている。

何様のつもりじゃいって話です。

 

理想を持つことや分析すること、周りに流されずに思考することは大切だと思います。

ただ、一人前の実力もなく、簡単なアクションすら起こしていないのに、経験による理想や分析や思考を語り散らかすだけの人間はダサすぎます。

ネットで誹謗中傷することに命を費やしている惨めな人間と大差ありません。

 

経験は「すればよい」のではなく「活かさなきゃ無意味」なんです。

経験と行動を結びつけることで、初めて経験の価値が発揮されます。

よって、行動がなければ経験はしていないのと同意です。

 

また、他者が自分のどこに注目しているかというと言動や表情といった外面に表れるモノです。

どう動いたか、何を言ったか、どんな表情をしたかが重要で、その心の内なんて二の次です。

 

もし、あなたに笑顔で誕生日プレゼントを渡してくる人がいたら、あなたはきっと喜ぶし、なんて良い人なんだと思うでしょう。

しかし、その人は自分の下心の為にプレゼントをしているのかもしれません。

逆に、あなたのことを大切に想っている人がいても、あなたに関わろうと働きかけなければ、その気持ちはあなたまで伝わりません。

ついには下心プレゼント野郎よりも大切にしてくれてない人とみなされてしまいます。

 

基本的に人間は、行動と感情が一致するもんだと考えるみたいなんです。

たしかに行動からしか内面を判断するための証拠を集めることができませんので、そうなることも無理はない気がします。

嘘つきが得をする世界の原因は、ここにある気がします。

相手の内面なんて、相手にしか分かりません。

 

「貧困や震災を重く捉えて考えているが、募金をしない人」と「下心まんまんで募金をする人」。

社会や周りの役に立つのは後者です。

内面なんて関係ない、他人からしたら外面の方が重要です。

そして、知らぬ間に前者になってしまっている人が多い気がします。

僕もその1人です。

 

第一に重要なのは行動。

その後に自分の経験や知識や理想や正義を乗っけていきましょう。

それがきっと自分の為にも周りの為にもなるような気がしています。

頑張りましょう。